手取り20万円の家計簿

3人家族 20代(男) サラリーマンが家計について考えるブログ

エリートサラリーマンはかっこいい。でもエリートサラリーマンという生き方が、幸福だとは思えない。

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今日は仕事の締め切りがあったので、若干早めに出社して、ラストスパートしておりました。そんな日を過ごしていろいろ思いました。

 

働けば働くほど視野は狭くなって、仕事をすることに楽しみを見出してしまうものです。思いっきり働けば、仕事は推進されていき、社内からの評価もあがり、あたかも充実しているかのように思えます。

 

それでうまいこと人生が回っていくかというと、そうでもないです。気づいたら会社のいいように使われていた、ということがぼくのあるあるです。

 

それで幸せになれる仕組みであればいいのですが。そんな気づきをご紹介します。

 

 

自分が思い描いているものと現実のギャップ

仕事ができるようになれば、幸福になるわけじゃない

ぼくがわりと最近まで思い描いていた理想の人物像は、仕事ができて、いい車に乗っていて、いいお酒を飲んでいて、美人の愛人がいるというバブリーなものでした。仕事はハードワークでバリバリにこなし、大きなプロジェクトを推進し、グローバルに活躍している。会社史上最速幹部、年収は1000万オーバー。みたいな感じです。

 

まあ今このように書いていても割りと憧れるし、かっこいいなとは思います。しかし、悲しいことに、これが幸福ではないということですね。

 

これは社会的な評価のモチベーションかと思いますが、狭いコミュニティだけでこれだったら無双状態で楽しいもしれません。

 

でも正直、上司とか同僚とか友達とか、もはやそんな重要でもないです。その人たちから評価されても、全然嬉しくないという現実。その評価のために、自分の人生をつぎ込んでも、得られるものがなさ過ぎる。

 

そこだけで生きているなら、その周りの評価は生きるモチベーションになるかもしれません。しかし、ネットが発達したことにより、よりコミュニティが広がりました。そんな世の中で、とある一個の会社という狭いコミュニティで偉いって視野狭すぎでしょ、と思っちゃうわけです。

 

まだこんなつたない文章を書くブログでも、世界に向けて発信していて、それを読んでもらえているということのほうが、社会的資本という意味では価値を感じます。

 

 

エリートサラリーマンという職業以外かっこいいとは思えない

そしてそんなバリバリのハードワーカーは、社会的資本という意味でコスパ悪いといったものの、働き方ではかっこいいと思っちゃうわけです。

 

大きいプロジェクトではお金も個人では考えられない額が動くし、人も何千何万という数で動きます。それを推進する人間力というのは見ていてかっこいいです。

 

しかし、それは人生の時間の大半を会社に投入した結果です。

 

そのため自分の時間というもので考えると、フリーランスとなって働くという選択肢があります。ぼくがお試しにやったのは、ライティングでした。

 

そしてそのライティングの仕事とさっきの話を比較すると、決してかっこいいとは思えないのも事実です。与えられたテーマで記事を書いて報酬をもらう。たしかにやりがいがあるかもしれない。しかし結構大きなものを動かす仕事をした後では、かなりスモールに感じてしまいます。

 

 

そのあいだを見つける

エリートサラリーマンは自分の時間の会社投入して、会社を利用して(利用されて?)大きいお金と人を推進して、大きい仕事をしている。仕事はかっこいいが、自分というものを犠牲にしている。あと、世の中に生み出したものは、その会社が作ったものということになっている。

 

一方フリーランスは自分の時間を得られるが、仕事の規模は小さく、エリートサラリーマンと比較するとかっこいい仕事ではないように思う。(個人的にです。)しかし自分という個人が世界で仕事をしている。

 

これのいいとこどりは、かっこいい仕事をしながら、自由に生きていくということだ。そんな仕事があるのだろうか。

 

 

まとめ

久しぶりに思いっきり働いたら、推進する楽しさを感じてしまったわけです。これはいままでの経験上、視野が狭くなっているともいえます。

 

でもやっぱり、大きい仕事するっていうのは楽しいと思います。ただそれが幸福ではないというゆがみがありますよね。

 

幸福とはなんなのか。どういうバランスがベストなのか。これからもいろいろ考えてみたいと思います。

 

それではー